チベット旅行記(2)

チベット旅行記(2)
チベット旅行記(2) 河口 慧海
川口慧海が霊峰を巡礼していると、次のように祈っている見るからに悪人といった人物に出会います。

ああ、カン・リンボチェよ。釈迦牟尼仏よ。三世十方の諸仏菩薩よ。私がこれまで幾人かの人を殺し、あまたの物品を奪い、人の女房を盗み、人と喧嘩口論をして人をぶん殴った種々の大罪悪を此坂で確かに懺悔しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後、私が人を殺し人の物を奪い人の女房をとり人をぶん殴る罪も此坂で確かに懺悔いたして置きます。
この盗賊は大きな声で祈りながら,霊峰を巡礼しているのです。信心深い人間であるわけです。それにしても、未来の分まで懺悔してしまうとは……。さらに、このような祈り方は一般的なものだそうです。盗賊の本拠地みたいな町があって、その町ではこのような祈り方が流行しているらしいです。
(有名な本なので何の説明もしませんでしたが,明治時代の探検家(お坊さん)である川口氏が当時鎖国だったチベットに潜入した記録です。ですから,実話ですがちょっと昔の話です。)

「ずるいだろ。それは」とか「おぃおぃ,これからの分も済ませてしまうのかょ」とか,人それぞれ笑えると思います。

でも,でも,よーっく考えてみると,一体誰がこの盗賊を笑える資格を持っているのか。

仏教が人を救うことが目的ならば(「仏教」を「学問」と置き換えてみても),この盗賊にとって仏教はその目的をしっかりと果たしているのではないか。
私はいつの日か「人権という宗教」について考えてみたいという野望を抱いているのですが,この盗賊の祈り,ちょっと気に入ってしまいました。生命力のパワーを感じさせてくれます。