中学数学の教科書には
をを省いてと表す。
というように記述してある。
私はこれには賛成できず、は計算の結果だと考えられると説明する。
なぜならでもあるがでもあるからだ。
となってしまえば、もとの式がなんだったかはもうわからない。つまりは計算した結果なのだ。
余談になるが、それゆえ教科書にその後で登場する「をなどの記号を使って表しなさい」という問題は苦手だ。
ぐらいなら生徒には「とにかく素直に、素直に答えなさい」ということでよい。
ところが教科書では調子に乗って(?)、というタイプの問題まで出題されるのだ。
これ、常識的な範囲(などは駄目としても)だけでもいくつぐらい正解があるんだ?(だいたい素直な子が多いから採点はさほど苦労しないが模範解答を私には作れない)
さてそれでも私はは計算結果だとは理解していない。
との2項演算を表している。
もしくはにという作用を及ぼすことを表していると理解していた。
このどちらかぐらいだろうと考えていたのだ。
ところが最近twitterで読んだのだが、がすでに計算結果を表しているという考え方があることを知った。
#超算数 添付画像のような場面において、5×3という式は
— 黒木玄 Gen Kuroki (@genkuroki) 2023年4月4日
❌1台に5人ずつの3台分の場面
でがなく、
⭕️1台に5人ずつの3台分の全部の人数
を表すはずなのに、5×3が数ではなく、場面を表すかのように説明しています。この疑いは次のページ以降で確定します。 pic.twitter.com/HzRZiamtqp
が数と書いてある。
どうも#超算数タグで小学校の先生を批判している方々の言っていることは私には理解できなかった。
だってとが同じわけがないではないか。
順序が関係ないのならもも同じだというのか?そんなわけはない。
しかし上のtweetを読んで、少しだけ理解できるような気がした。
もも数を表しているのだから同じだろうというわけだ。
つまりどちらもと書いてある、というわけだ。
もちろん、私には賛同できない。
は数ではなくて(計算することによって数に写る)式ではないだろうか。
ついでだがこのtweetでは「が場面を表すかのように説明しています」と書いてある。
が、添付の画像を見てもそんなことは書いていない。
書いてあるのは
「1台に5人ずつの3台分で15人です」という文章を数式では「」と書きます。
ということだ。
式は文章を略記したものだからまったくそのとおりと言わざるをえない。
このように書いてないことをさも書いてあるように語って難癖をつけるのはよくある手段。
といえその主張に疑問を持たせることになる手段だからお薦めできない。
さらにさらについでなので。
#超算数 現代の算数の教科書では5×3を5+5+5で定義して__いません__。
— 黒木玄 Gen Kuroki (@genkuroki) 2023年4月4日
この点について誤解している反応は10年以上議論に遅れているので注意してください。
現代の算数の教科書では「5×3は5個を含む集まりが3つある場面を表す」ことをにおわす酷い説明の仕方になっています。
この点への批判が重要。
大昔に教育学部で勉強していたときは、「乗法は累加で定義されるべきではない」と教わった。
ふ~ん。ペアノの公理の授業(小学校理科の先輩のために少し出た)では累加っぽかったけど、そうなんだ。これが現代化ってやつかと思って聞いていた。つまり古い教科書では数え棒などを使って累加で乗法を教えていたけれど、それでは駄目だという話だった。
でも、このtweetの先生、いろいろ古い資料なども調べているようだけれど、100年も前から(つまり数学教育の現代化が叫ばれる前から)乗法を累加で教えていないと主張される。
オイラの記憶とどっちが正しいんだろう?まぁ、今となってはあまり興味ない話だけれど。
ただオイラの読解力では黒木先生は「乗法は累加で教えるべき」と主張していると思ったんだけど、ここもよくわからない。