研究授業

研究授業とは、若い先生の授業をみんなでみて、いろいろアドバイスするものだと思っていた。
私も若い頃はそんな研究授業でいろいろ教わって、だから他の人の研究授業にもできる限り駆けつけるように心がけていた。
それが、定年も間近のこの歳になって、しかも異動したての学校で、今年は立て続けに2回も研究授業をすることになった。

研究授業なんて15年以上やっていない。

といっても、なにか研究をしているわけではないから、普段の授業を公開するだけ。
指導案を書いたり印刷したりが面倒なだけでどうということもないのだが……見学に来るのが何故か小学校の先生だったりする。

小中連携とか流行しているらしい。

先日も、うちの嫁さんなどは幼稚園の授業を観にいった。
意味が分からない。

そして授業の後の協議会が、実にためにならない。

話題が「小学校では『めあて』なのに中学校では『ねらい』なのはどういうわけか」とか、
「グループ活動で4人編成にしていたが、4人という数にどういう意味があるのか」とか、
そんなのばかり。
どうでもいいよ。

それと毎回指摘されるのが【板書の4の書き方】について。

「小学校では4の書き方を苦労して指導しているのに、中学校でそんな書き方をしていては苦労が水の泡だ」

はじめ、何のことかわからなかった。

どうやら小学校では「4」の上の部分をくっつけてはいけないと指導しているらしい。

周りを見渡しても、上のくっついていない4を見つける方が難しいのだが…。

心の底からどうでもいい協議会の時間が苦痛だ。

そこで、今回は指導案の最後に唐突に次の資料をつけておいた。


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これをみると4は下から上に一筆書きで書くのが歴史的に正しい書き順のようだ。
この日は「4の書き方」についての質問は出なかった。

まぁ、反比例のグラフを描くだけの授業だったから板書で「4」は書かなかったせいのかもしれないが。


数字の歴史―人類は数をどのようにかぞえてきたか

数字の歴史―人類は数をどのようにかぞえてきたか

放物線の問題(解答編)

自宅では仕事をしないことにしているので、グラフ描いたりできない。
そのうち、わかりやすく図を追加します*1

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これがy=ax^2のグラフの一部ということなのだが、格子点を2か所通っているので、a(>0)無理数ではない。
しかし、整数でもない。


まずこれが減少中ではないことを示そう。
3つ増えて2つ減っているので平均変化率-\dfrac23
これでa<1ということと、3つおきに格子点を通っていることから考えて可能性は
a=\dfrac{n}{9} (n=1,\ldots,8)しかないが
x座標をi,(i+3)とすると、
\dfrac{n}{9}(2i+3)=-\dfrac23
n(2i+3)=-6
ここでnとiは整数なので解は\cases{n=2\cr i=-3}\cases{n=6\cr i=-2}だけ
すなわち\cases{a=\dfrac29\cr i=-3}\cases{a=\dfrac23\cr i=-2}
もちろんi=-2では格子点を通らないので没にすると残るは\cases{a=\dfrac29\cr i=-3}のみ。
y=\dfrac29x^2 (-3\le x \le 0) という可能性だ。
しかし、その場合、グラフの右下が原点ということになるが、よくみるとこれは原点ではないことがわかる。

そこでこのグラフは増加中のグラフだとわかる。

2つ増えて3つ増えているから平均変化率\dfrac32
x座標をj,(i+2)とする
y=x^2で接線の傾きが\dfrac32となる点を探してみよう。

x座標をpとすると2p=\dfrac32だからp=\dfrac34
これが整数になるようにするにはグラフを4倍してやればよいのでa=\dfrac14, j+1=3がわかる。
8倍するとj+1が偶数になってしまうので、その前後は奇数となるから格子点にならない。
すなわち
y=\dfrac14x^2 (2\le x \le 4)
が唯一残った可能性という事になる。


放物線が相似ということを使った問題を考えていた記憶があるから、後半はほぼ作意だと思うのだけれど、前半がうまくいかない。
もっと条件つけたのかなぁ。

念のために補足しておくと、傾きの公式a(\alpha+\beta)をやれば接線の傾き2a\alphaも自然に進めます。

進学塾では接線の方程式y=2a\alpha x-a\alpha^2までやります。


後半はいいと思うのだけれど、前半がだらだらして嫌。
どなたかすっきり書き直してください。

*1:「そのうち」と言ってやったことは少ない

放物線の問題

昔作った問題を思い出した。

ある日、A君が y=ax^2 のグラフを描いた。
ところが、せっかくのグラフを妹のB子がはさみでばらばらに切り刻んでしまった。
残ったのが下の破片である。

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わかっていることをまとめると

  • y=ax^2のグラフの一部
  • a>0としよう
  • グラフの1目盛は1

A君は何のグラフを描いたのか。

期末考査には没にした。

で、たしかこうだったなと思い出して、自分で解こうとしてとまどった。
作ったときは、エレガントに解いた記憶があるのだけれど。。。

日本のパイ

地図を見ていると日本にも\piという地名があるようだ。
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いや、昔検索したときは3つは「兀山」が見つかったんだけどなぁ。
なくなってしまったみたいだ。

お気づきと思うが、上の地名は「パイ」ではない。
漢字の「兀」なのだ。

これは「ゴツ」と読む。はげ山の意味らしい。

では本当の\piはないかと検索してみると、さすがに地名には見つからないが、店名や会社名にはある。
一部を並べてみよう。

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一度は讃岐うどん食べ歩きツアーに行ってみたいが、そのときにはぜひ立ち寄ろう。

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甲府で焼き鳥を食べたくなったらここだ。

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船橋なら近いな。そのうち行ってみよう。

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大阪大会の時、いけるかもしれない。


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これは卵の会社かな。近くのスーパーでは売っていない。

反比例のグラフも1つ

双曲線は漸近線の交わる角度がいろいろあるから当然いろいろある。
でも、中学校1年生で学ぶ反比例のグラフは漸近線がx軸とy軸なのだから、これはすべて相似ではないのか。

放物線と同じで、簡単に証明できた。

証明

y=\dfrac{1}{x}上の点A\left(\alpha,\dfrac{1}{\alpha}\right)
y=\dfrac{a}{x}上の点B\left(\alpha\sqrt{a},\dfrac{\sqrt{a}}{\alpha}\right) を対応させる。

ABx座標の比も、y座標の比も
1:\sqrt{a}

放物線は1つだけ

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東書の教科書には上の課題が採用されている。
y=x^2のグラフを1目盛1で描かせると、どうしても頂点が尖ってしまうので良い問題というか必須の問題だ。

ついでに次の課題もやったらどうか?

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タイミングとしては、2乗比例のグラフの特徴をおさえて、比例定数の値によるグラフの形の変化をおさえた後あたりか。

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こんな写真を見せて、これ全部y=ax^2 なんだよ。どれもa<0だけど。

でも、実は放物線は円と同じで1つしかない...と展開したらちょっとした驚きになるのではないかな。

以前は2年生で相似を学んでいたのが、今は3年の関数の後になってしまったのが痛い。

証明

y=x^2上の点A(\alpha,\alpha^2)に対し、
y=ax^2上の点B\left(\dfrac{\alpha}{a},\dfrac{\alpha^2}{a}\right)を対応させる。
ABx座標の比も、y座標の比も
1:\dfrac{1}{a}=a:1
なので、3点O,A,Bは一直線上に並ぶ。*1

*1:内項を入れ替えれば、OAの傾きとOBの傾きが等しいことがわかる。 もちろん相似比は a:1

記憶は改変される

遠足で山道を歩いていたら、目の前を歩いていた女子生徒3人のうち1人がふっと消えた。
30年この仕事をしていても、なかなか経験できない強烈なシーンだ。

心臓が止まるかと思った。*1


急いで駆け寄ると、幸い数メートル下の斜面*2にA子はへばりついていた。本人も何があったか理解している様子ではなく、ただ茫然としていた。
まったく怪我もなく、事なきを得てほっとした。

25年以上たっても、くっきり覚えているこの強烈な記憶。
ところが、昨日その当事者と会って驚いた。
この記憶が間違っているというのだ。

私は滑落したのはA子だと記憶していた。
しかしA子が言うには、落ちたのはM子だという。
私にとっては数少ない、鮮明な記憶なのに、主人公(?)の顔がすげ替わっていたとは!?

A子は芸術家肌のおっちょこちょいな子どもで、その山歩きをするという当日もトレッキングシューズでも運動靴でさえもなく、通学用の革靴で現れた。それで滑って落ちたのはA子だと、長い年月の間に記憶が書き変えられていたらしい。
A子が言うには、確かに滑ったのは私だが、私は3人の真ん中にいて、同時に3人ぬかるみで滑った。そして谷側にいたM子が落ちて行っただそうだ。

人の記憶というものは、かくも頼りないものなのだ。

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その同窓会に持って行ったのに使うの忘れた扇子

*1:実際に心臓が止まったわけではなくて、時間感覚が速度を上げて、相対的に心臓の鼓動が間延びしたのだろうが。

*2:上から見ると断崖絶壁に見えたが、目のついている位置が理由の錯覚で、実際には30度ぐらいだったようだ。