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教員は多忙か

 教師の感じているような「多忙感」は他の職業に就いている人たちが感じているそれとは異なっているのではないだろうか。また、その「多忙感」を理解してもらうことも難しいのではないだろうか。
 教師の多忙感は解消されるどころか、年々増大している。教師に対してあれもこれもと要求する教育行政はその一因になっている。多忙感の問題は、教師のモラルの低下や指導力不足などの問題とも関係している。

ネットをうろうろしていると,これから理想を持って教員を目指そうという青年たちがけっこういる。一緒に働いている非常勤講師で正規採用を目指している人も立派な人が多い。彼らを見ていると希望をかんじる。しかし,正直な話,もし,自分がまだ20歳ぐらいでこの道を進もうとするかというと,否である。
年々給料は下がるし,世間での評価も下落しつつあるし,子どもたちも親たちもわけわからなくなるし,総合的学習だ絶対評価だ観点別評価だと仕事は煩雑になるし,来世はまずこの仕事は選ばないだろう。
大学を出て,すぐにこの世界に入ったわけではなく,某中小出版社で3年,某進学塾で1年,非常勤講師の掛け持ちで1年暮らした後,中学校に入った。といっても,ずいぶん昔の話なので,比べられるかどうかわからないが,確かに物理的な拘束時間以上に中学校の仕事は多忙感が強い。家に帰っても気持ちの切り替えが難しいせいかなと考えていた。実際,若い頃は仕事を持ち帰らない日はなかったし,家の電話番号を非公開にするまでは真夜中でもかまわず保護者から電話がかかってきたりする。
しかし,忙しいのが嫌いかというとそう単純なものでもない。もともとこの商売を選んだ理由のひとつに「そう簡単にルーティンワークになりそうにない」というのがある。ナマモノ相手に単純作業は通用しない。そこが厭きなくていいんじゃないかと思った。これはどちらかというと積極的に多忙を求めていく姿勢だ。
つまり多忙感が直接疲労感につながるわけではない。では何故つながるかというと

  • 意味のない仕事と感じると疲れる
  • 無駄な仕事だと感じると疲れる
  • 終わったぜという区切りがないと疲れる
  • 自分が人の役に立ち成長したという実感がないと疲れる

と,こういった所ではないかと考えている。
「意味のない」は主に役所に対する報告書の類だ。調査書や指導要録も含む。不登校生徒への指導記録やら授業改善のための分析と計画だとか,研修計画だとか,このカテゴリーの仕事が近年急増してるなぁ。「無駄な」は生徒そして保護者に対するもの。これも近年はオトナに対する疲労感が急増している。区切りがないのは「ゆとり教育」のせいでゆとりがなくなったのが大きいだろうなやはり。最後のはこれはその教員集団のリーダーの資質によるところが大きいのだけれど,土曜日がなくなってから持ち時間が稠密になり,十分な会議の時間が取れなくなったのが大きいと思う。その行事の意義についてメンバーで討論し意識を高めていくなんてことはめっきりなくなった。