良心的兵役拒否の思想

最近テレビで「刺客」を「しきゃく」と読んでいる人がいる。しとしとぴっちゃんも知らない世代なんだろうなぁ。あまり指摘されないが「国民の血税を無駄に使うな」なんて発言もよく聞かれる。でも,「血税」って「兵役の義務」のことなんだそうですぜ。明治になって数百年間も武器を取り上げられていた人々にも兵役の義務が課せられた。それを血税と表現したそうな。ところが本当に血を取られるのかと一揆まで起こったそうな。
私はこの本を読んで,知りました。

良心的兵役拒否の思想 (岩波新書)

良心的兵役拒否の思想 (岩波新書)

どんな小さな権利でもそうですが,先人の長く厳しい戦いの末に勝ち取られてきたものなのだということを思い出させる本でした。この良心的兵役拒否の権利はイギリス・ロシア・そしてアメリカでキリスト教の一派がたくさんの死体の上に築きあげたきた権利です。クェーカーとかエホバとかちとちょっと偏見持っていたのですが,見直しました。
この本が書かれたのが30年も前なので,かなり古い話になっていますが法制化された国についての記述を引用しておきます。
 良心的兵役拒否者たちによる,長い間の,文字どおり命をかけた戦いを通じて,第二次世界大戦後の現在では,資本主義国だけでなく社会主義国においても,良心的兵役拒否は法制度として認められるようになっている。
すなわち,アメリカ,イギリス,フランス,西ドイツ,ベルギー,オランダ,デンマークスウェーデン,ノールウェイ,フィンランドイスラエル,カナダ,オーストラリア,ニュージーランドの十四の資本主義国,そして社会主義国としての東ドイツとで,法制化されている。
日本ではキリスト教信者と社会主義者が戦争反対を唱えたが,まだ戦いの歴史は浅いといわざるを得ない状況のようです。
次の文章が心に残りました。
昭和8年に,平和主義の思想ゆえに旧制静岡高校の教授の職を去った政池仁の「基督教平和論」からの孫引きです。
問 貴君は非戦論者であるという噂がありますが,それはほんとうですか。
答 ほんとうです。私は非戦論者です。
問 それは驚きました。この非常時にそんな非愛国者があろうとは思いませんでした。貴君は国がどうなろうと構わぬと申されるのですか。
答 それは違います。私は決して非愛国者ではないつもりです。否,人一倍国を愛しています。私の非戦論も国を愛すればこそ出るのであります。貴君が非戦論者を非愛国者よばわりなさるのは,非戦論と反戦論とを混同しておられるからではありませんか。
問 非戦論と反戦論とは別なものでなのですか。その間に何か区別があるのですか。
答 有りますとも,大いに有ります。非戦論というのは,道徳的,宗教的に戦争を否定するもので,反戦論というのは,戦争に反対し,国家が戦争行為に出ずる時には之を邪魔し,場合によっては時刻の敗戦をすら企図するものであります。反戦論者は国法を全く無視し,国家の命令なりと雖も,己が主張に反することには従いませんが,非戦論者はどこ迄も国法を重んじ,たとえ己が主張に反する事であっても,国家の命令には服従するのであります。従って,もし国家が彼に出征を命ずるような事があれば,それにも従います。それも,反戦論者のように,嫌々従って,出来得べくんば脱走したり,上官の命令にそむいたり,命令を斥けようと努めるのとは違って,率先して従軍し,他の何人よりも忠実に上官の命令を遵奉せんとします。非戦論者は,国是が定まる迄は大いに論じますが,いったん定まった以上,それが自己の意見と同じであろうと否とに関係なく,喜んでそれに服従するのであります。
問 それでは国家の命ずるところが自分の不義と信ずることであっても服従しようと言うのですか。
答 そうです。少なくとも今日の国家---特に日本国---の命ずることなら私は何でも致します。まさか今日の国家が姦淫を命じたり,理由のない殺人を命じたりは致しますまいから。又そんな事を命ずるようになれば既に国家として存立していないでありましょう。