文化としての数学

文化としての数学 (光文社文庫)

文化としての数学 (光文社文庫)

あれれっと目を疑った。何で今更遠山啓が復刊されているのか。しかも光文社文庫?????
ああきっと本棚をひっくり返せばあるはずだと思いながらも買ってしまいました。
一読、ああ遠山啓です。染みこむ染みこむ。むさぼるように読んだ四半世紀前の記憶が鮮やかに蘇ってきます。
ああ、「今更」でなくって「今だからこそ」遠山啓なんだなぁ。
全集を引越しの際に捨ててしまったこと、悔やまれます。

嘘をついてでも伝えたい真実

というのも、私が焼きそばの具のような生活細部についてブログ日記で言及するのは、ほとんどの場合それが「嘘」(とまでは言わぬまでも、「ホラ」ないし「針小棒大」)だからなのである。
どうしてそういう真実味の薄いことを口走ってしまうのか、その理由が私にはよくわからないのであるが、そこにはそれなりに「嘘をついてでも伝えたい真実」が伏流しているからであると考えたい(焼きそばを食べたのはほんとうですけど)。

久しぶりにこのフレーズを見かけた。
私が記憶しているのは「嘘をついてまで伝えたい真実」だったような気もするが…。
で、私がはじめてこのフレーズに出会ったのは、微かな記憶が残っているだけなので怪しいのだが、真崎守の漫画だったのではないかと思う。永嶋慎二の「フーテン」とか「漫画家残酷物語」と似た雰囲気の漫画だったことは覚えているのだが、永嶋ではたぶん、ない。だったら真崎守かなと思うのだが。どなたか、ご存知ですか。
さらに、もっとオリジナルがある可能性も高い。当時すでに有名な言い回しだったのかもしれない。最初にこの言葉を作ったのはいったいどなたなのでしょう。これも、ご存知の方いらっしゃったら、どうか教えてください。

口語訳古事記 人代篇

口語訳 古事記―人代篇 (文春文庫)

口語訳 古事記―人代篇 (文春文庫)

著者が挿入する古老のつぶやきがいささか多すぎるような気がする。が、読みやすいのですらすら読めて嬉しい。以前読んだ時はもっと血生臭くって残酷なシーンが多かったような記憶があったのだが、今回読んだ限りではそれほどでもなかった。(それでも十分多いが)

みなそそく おみのをとめ
ほだり取らすも
ほだり取り かたく取らせ
したがたく やがたく取らせ
ほだり取らす子

この部分の現代語訳

水がそそぎ流れる大海の 臣のおとめよ
豊かな垂れ物を手になさるよ
大きなあれを手に いま少し強く取れよ
しかと固く いよいよ固くなるまで取れよ
豊かな垂れ物を手になさる子よ

この部分は驚いた。「ほだり」ってまだ辞書ではお銚子ってなっているが、これは新しい解釈なのか。
解説ではこうなっている。

ここに示した歌の解釈は、歴史学者・直木孝次郎の見解で、おそらく正しい。ことに酒の席では、こうした卑猥な歌も多く歌われたはずである。
ホは立派にの意のほめ言葉、タリは垂れているものの意で、満ち足りた状態を表わす。通説では酒を満たした瓶のことだと言われているが、ここでは男の一物と解釈した。

垂れているものといえば、確かにペンダントのペン…ペニスと同じ発想の言葉ですな。国の東西は違っても「垂れているもの」といえば、アレなんですなぁ。でも西のほうでは使用する際はファルスと名前も変わるけれど、古代日本ではどうなんだろうと思ったことでありました。

ソフトがみつからない

Windowsマシンにパソコン教室が変わって以降、先日もどういうわけかコンピュータの台数は増えたが、ソフトの予算は付かないので、授業でパソコン教室を使うことはここ数年なくなった。コンピュータ自体もたまに自分のノートを教室に持ち込んでプロジェクタで画面を映して見せるくらいしか授業では使わない。昔の方がちゃんと使えてたなぁ>コンピュータ室。いまは漫画喫茶みたいなものになってしまったことであるよ。
それはともかく、ちょうど1年生の授業で回転体を扱う段になったのでノートを教室に持ち込もうと思った。ところが、あれれ?Shadeがない。そうだ昨年度、異動する際にノートパソコンを買い換えたのだった。昨年度は1年生を受け持っていなかったので気付かなかった。
で、家に帰って押入れを探してみたが、見つかったのはクイックリファレンスだけ。箱も見当たらないのはどういうわけだ?うじゃうじゃでてくるのはXPとウィルスバスターの箱ばかり。ああ、そういえばコミックスタジオもないぞ。flash MX も見当たらない。あいや〜。普段から片付けておかないからいけないんだけどさ。
(1/30 追記)シンデレラもない。。。

十干

甲(コウ)、乙(オツ)、丙(ヘイ)、丁(テイ)、戊(ボ)、己(キ)、庚(コウ)、辛(シン)、壬(ジン)、癸(キ)のことを十干という。これを幹(カン→干)と十二支を枝(シ→支)として順に組み合わせて作ったのが干支(えと)であるわけだ。

1 甲子 11 甲戌 21 甲申 31 甲午 41 甲辰 51 甲寅 
2 乙丑 12 乙亥 22 乙酉 32 乙未 42 乙巳 52 乙卯 
3 丙寅 13 丙子 23 丙戌 33 丙申 43 丙午 53 丙辰 
4 丁卯 14 丁丑 24 丁亥 34 丁酉 44 丁未 54 丁巳 
5 戊辰 15 戊寅 25 戊子 35 戊戌 45 戊申 55 戊午 
6 己巳 16 己卯 26 己丑 36 己亥 46 己酉 56 己未 
7 庚午 17 庚辰 27 庚寅 37 庚子 47 庚戌 57 庚申 
8 辛未 18 辛巳 28 辛卯 38 辛丑 48 辛亥 58 辛酉 
9 壬申 19 壬午 29 壬辰 39 壬寅 49 壬子 59 壬戌 
10 癸酉 20 癸未 30 癸巳 40 癸卯 50 癸丑 60 癸亥 
この十干も先の藤堂先生の解釈だとやはり植物の生長の序列が基となった漢字であるということだ。やはりメモしておく。

甲(コウ)

合や盒と同系でかぶせる意を含む。原字は魚の鱗かもしれないが鱗も全身にかぶって覆うもの。
植物動物が固い殻におおわれている状態を広く甲という。

乙(オツ)

軋と近く、上から下へ押さえる意を含む。
植物がなお抑圧されて伸びだせず、地下で屈曲している時である。

丙(ヘイ)

原字は左右に張った魚の尾であろう。しかしこの語は方や房、防と同系でピンと左右に張りだす意を含む。
植物の根がいよいよ左右に張り出る時期を表わす。

丁(テイ)

原字は釘の頭、もしくは当て木の象形。
植物の芽が伸びようとして地表にT型に当たり、なお表面に出きらない時期である。

戊(ボ)

矛と同じくホコの象形。卯、貿、冒などと同系で、障害をおかして、むりやりに進む意を含んでいる。
植物の芽が、固い地表をおかして、むりに地上に顔を出す時期である。

己(キ)

曲がりつつ起きたつさまを示し、後世の起の原字。
植物の若芽がむっくと起きたつ時期である。

庚(コウ)

原字の大切な点は中央に強い縦線が通っていること。何かの心棒を表わす。
植物の茎が固く生長し、また固く張った穅(モミ)の実る時期である。

辛(シン)

小刀を示す象形文字。刀で切り取ることを示す。
生育した植物を切り取る時期である。薪の原字と考えてよい。

壬(ジン)

糸を巻き取る糸巻きの象形。仕込んで太くふくれる意を含む。
植物を取りこんで収穫物で家も蔵もふくれる時期である。

癸(キ)

原字は三峰というよりむしろ四峰のホコの象形。回転させて敵中におどりこむ。ひと巡回する意を含む。
ここで一巡りし終わったところの意味である。

    • -

この十干が陰陽五行などとからまって色々な意味が付加されたが、それは数学とはあまり関係がない。もっともそれがペンタグラマと絡んでくるとまた興味深い。これもそのうち書きたいな。

十二支

清水義範の「飛びすぎる教室」は一応最後まで読んだ。実は結構興味の方向性が一致する話題が多い。中に暦の話もあった。十二支やユリウス暦の話で基本的な話しか書いていなかったが、次の本を思い出した。

漢字と文化 (徳間文庫)

漢字と文化 (徳間文庫)

尊敬する藤堂明保先生が十二支はバビロニアの十二宮という説を批判している。ちなみに十二支とは子(シ)、丑(チュウ)、寅(イン)、卯(ボウ)、辰(シン)、巳(シ)、午(ゴ)、未(ビ)、申(シン)、酉(ユウ)、戌(ジュツ)、亥(ガイ)が正しい読み方。それぞれの意味を藤堂先生の本からメモしておく。

頭髪がどんどん増えて伸びて行くさまを示す象形文字。(うらやましい…)
植物がこれから子を増やし生長しようとする時期を示す。

手がひどく曲がった姿を象形文字
植物が地下においてなお屈曲して伸びかねている時期を示す。

真っ直ぐに伸びた矢の形を示す。
植物がすくすくと伸び始める時期を示す。

両側に押し開けたさまをしめす。閉じたものや障害を押しのける意を含み、貿・冒などと同系の語。
植物が伸び出る時期。または植物の枝葉が茂って、上からかぶさるさまを呈する時期。

貝の肉がペラペラと動くさまを示す象形文字
植物が若芽をなびかせて動き、盛んに生長する段階。

子ども・胎児の象形。
植物が種子をはらみ始める段階。

杵の原字で、上下させて餅をつきならす棒の象形。きつい馬をならして柔順に制御する意。五や互と同系で交叉する意を含む。
前半と後半が交叉するポストを表す。

木のこずえの未熟な枝を示す象形文字
植物のなお成熟しきらぬ未熟な段階。

電光を表わす象形文字。電の原字。まっすぐに伸びきる意を含む。
作物の伸びきった時期。
日本では電光は「稲光」「稲妻」と呼ばれ稲の成熟をもたらしたと考えられた*1が、それと同様の意識が中国にもあったと解してもよい。

酒を搾る壺の象形。
収穫した穀物で新種を作る時期と考えても良いし、広く「引き締めてひと所に収穫する」意と解しても良い。

ホコ*2の象形。武器で守ること。西方北方の遊牧民族は毎年収穫期を狙って黄河デルタに侵入し、農業民の収穫物を略奪するのが数千年にわたるこの地のならわしであった。
武器で収穫物を守る時期。

ブタの全身に行き渡った骨組みを表わす象形文字。全部に行き渡る意を含む。
全部終結するとの意を表わす。

    • -

以上で引用を終わります。「午」が真ん中でなかったり、ちょっと順序やその意味に疑問点はありますが、いずれにしても十二支というものが植物の生長過程からつけられた数詞(序数)であるという主張は説得力があると思います。
ただ、これらが直接1月、2月…という意味に使われたことはないそうですから誤解のないように。十干と組み合わせて年を表わすのが基本のようです。
十干の話はまたあとで。あと白川先生だとまた解釈が微妙に異なってきます。これもまたそのうち。

*1:注連縄が雨雲と雨、そして稲妻をかたどったものであることは有名だ。映画で見たことがあるのだが、宮沢賢治は農学校の生徒にこれは科学的事実であると教えていたそうだ。空気中の窒素が電光の影響で肥料となることがあるのだろうか?

*2:ホコ(矛)と藤堂先生は書かれていますが、字を見る限りゲキ(戟)に見えますけどね。いやカだったっけ?どちらにしても武器には違いないから問題ないのですが。

飛びすぎる教室

飛びすぎる教室 (講談社文庫)

飛びすぎる教室 (講談社文庫)

 そしてそういう国を、ひとつずつ観光してみて、大いに思うことがあった。それは、私はこの宗教の国々のことを、学校ではまったく教わっていないぞ、ということだ。
 たとえばの話、ウズベキスタンで、チムール帝国(1370〜1507)の都サマルカンドを見る。そこでチムールの孫のウルグ・ベグが著名な天文学者でもあったことを知り、その人の造った見事な天文台を見物して、なんという科学水準の高さだ、と驚いた。ヨーロッパが産業革命によって躍進する前は、イスラム世界の方が文明レベルが高いんじゃないのか、ということを初めて知るのだ。そういうことを世界史の授業で習った覚えはない。

世界史が必修だったという話から思い出した。清水義範は「国語入試問題必勝法」「永遠のジャック&ベティ」以来読んだことはなかったのだが、駐車場無料サービス受けるために、何かお気楽な本を買おうと探したときに見つけたものだ。
で、最初にこのような話から始まるのだが、「そうだそうだ」と共感至極である。
イスラム世界の話自体、私は殆ど読んだことがない。子どもの頃に「千夜一夜物語」の一部を読んだくらいだ。あまりのエロティシズムに驚き、思わず本棚の奥の方に隠した。ときどきこっそり取り出して読みふけったものだ。
イスラムだけでなくインドだって知らない。中国も三国志までだ。アフリカも中南米も。もっとも私はヨーロッパだって知らない。
さらに考えれば、日本史だって天皇系の一本道的な歴史しか知らない。だいたい私自身は征服者側の子孫なのか?それとも征服されて文化も歴史も根こそぎ奪われてしまった人々の子孫なのか?

 そんなふうに、文明や文化に、達成度の採点をつけていく考え方はそろそろ見直すべきかもしれない。
 優劣でなく、世界にはいろんな文明、文化があり、それぞれが自分たちの自己紹介、つまり歴史を持っているのだと考えてみるのはどうだろう。
 そしておのおのの歴史を突き合わせてみたところに、世界史という、我々人類の実像が見えてくるのだ。
 そういう世界史ならば、私は大いに勉強したいと思っている。

歴史を知らないというコンプレックスを抱いている私は、ときおり衝動的に歴史の本を購入し、挫折する。(ああ、そういえば捏造問題で書き直された本も交換してもらわなきゃと思いつつ忘れていたことを今思い出した)
それにしても、お気楽な表紙のわりに、ここまで問題意識に共感できる本に出会えたとはありがたい。これは儲け物だ。トイレ用でなく、ちゃんと読もうかなと思って、次のページを開いた。

食べ方は生きる知恵(料理の話)

?????
イスラム世界の歴史の話は、もう終わりなのか?あおるだけあおっておいて、さぁ、この本を読み進めれば学校では教えてくれなかった世界史に出会えると期待を膨らませておいてこの落ちか?
……これも感動した内に入るのだろうか。あとがきを読んだら、これは小説ではなくってエッセイらしい。エッセイってそーゆーもんだったっけ。