Windowsマシンにパソコン教室が変わって以降、先日もどういうわけかコンピュータの台数は増えたが、ソフトの予算は付かないので、授業でパソコン教室を使うことはここ数年なくなった。コンピュータ自体もたまに自分のノートを教室に持ち込んでプロジェクタで画面を映して見せるくらいしか授業では使わない。昔の方がちゃんと使えてたなぁ>コンピュータ室。いまは漫画喫茶みたいなものになってしまったことであるよ。
それはともかく、ちょうど1年生の授業で回転体を扱う段になったのでノートを教室に持ち込もうと思った。ところが、あれれ?Shadeがない。そうだ昨年度、異動する際にノートパソコンを買い換えたのだった。昨年度は1年生を受け持っていなかったので気付かなかった。
で、家に帰って押入れを探してみたが、見つかったのはクイックリファレンスだけ。箱も見当たらないのはどういうわけだ?うじゃうじゃでてくるのはXPとウィルスバスターの箱ばかり。ああ、そういえばコミックスタジオもないぞ。flash MX も見当たらない。あいや〜。普段から片付けておかないからいけないんだけどさ。
(1/30 追記)シンデレラもない。。。
十干
甲(コウ)、乙(オツ)、丙(ヘイ)、丁(テイ)、戊(ボ)、己(キ)、庚(コウ)、辛(シン)、壬(ジン)、癸(キ)のことを十干という。これを幹(カン→干)と十二支を枝(シ→支)として順に組み合わせて作ったのが干支(えと)であるわけだ。
1 甲子 | 11 甲戌 | 21 甲申 | 31 甲午 | 41 甲辰 | 51 甲寅 |
2 乙丑 | 12 乙亥 | 22 乙酉 | 32 乙未 | 42 乙巳 | 52 乙卯 |
3 丙寅 | 13 丙子 | 23 丙戌 | 33 丙申 | 43 丙午 | 53 丙辰 |
4 丁卯 | 14 丁丑 | 24 丁亥 | 34 丁酉 | 44 丁未 | 54 丁巳 |
5 戊辰 | 15 戊寅 | 25 戊子 | 35 戊戌 | 45 戊申 | 55 戊午 |
6 己巳 | 16 己卯 | 26 己丑 | 36 己亥 | 46 己酉 | 56 己未 |
7 庚午 | 17 庚辰 | 27 庚寅 | 37 庚子 | 47 庚戌 | 57 庚申 |
8 辛未 | 18 辛巳 | 28 辛卯 | 38 辛丑 | 48 辛亥 | 58 辛酉 |
9 壬申 | 19 壬午 | 29 壬辰 | 39 壬寅 | 49 壬子 | 59 壬戌 |
10 癸酉 | 20 癸未 | 30 癸巳 | 40 癸卯 | 50 癸丑 | 60 癸亥 |
甲(コウ)
合や盒と同系でかぶせる意を含む。原字は魚の鱗かもしれないが鱗も全身にかぶって覆うもの。
植物動物が固い殻におおわれている状態を広く甲という。
乙(オツ)
軋と近く、上から下へ押さえる意を含む。
植物がなお抑圧されて伸びだせず、地下で屈曲している時である。
丙(ヘイ)
原字は左右に張った魚の尾であろう。しかしこの語は方や房、防と同系でピンと左右に張りだす意を含む。
植物の根がいよいよ左右に張り出る時期を表わす。
丁(テイ)
原字は釘の頭、もしくは当て木の象形。
植物の芽が伸びようとして地表にT型に当たり、なお表面に出きらない時期である。
戊(ボ)
矛と同じくホコの象形。卯、貿、冒などと同系で、障害をおかして、むりやりに進む意を含んでいる。
植物の芽が、固い地表をおかして、むりに地上に顔を出す時期である。
己(キ)
曲がりつつ起きたつさまを示し、後世の起の原字。
植物の若芽がむっくと起きたつ時期である。
庚(コウ)
原字の大切な点は中央に強い縦線が通っていること。何かの心棒を表わす。
植物の茎が固く生長し、また固く張った穅(モミ)の実る時期である。
辛(シン)
小刀を示す象形文字。刀で切り取ることを示す。
生育した植物を切り取る時期である。薪の原字と考えてよい。
壬(ジン)
糸を巻き取る糸巻きの象形。仕込んで太くふくれる意を含む。
植物を取りこんで収穫物で家も蔵もふくれる時期である。
癸(キ)
原字は三峰というよりむしろ四峰のホコの象形。回転させて敵中におどりこむ。ひと巡回する意を含む。
ここで一巡りし終わったところの意味である。
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この十干が陰陽五行などとからまって色々な意味が付加されたが、それは数学とはあまり関係がない。もっともそれがペンタグラマと絡んでくるとまた興味深い。これもそのうち書きたいな。
十二支
清水義範の「飛びすぎる教室」は一応最後まで読んだ。実は結構興味の方向性が一致する話題が多い。中に暦の話もあった。十二支やユリウス暦の話で基本的な話しか書いていなかったが、次の本を思い出した。
- 作者: 藤堂明保
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子
頭髪がどんどん増えて伸びて行くさまを示す象形文字。(うらやましい…)
植物がこれから子を増やし生長しようとする時期を示す。
丑
手がひどく曲がった姿を象形文字。
植物が地下においてなお屈曲して伸びかねている時期を示す。
寅
真っ直ぐに伸びた矢の形を示す。
植物がすくすくと伸び始める時期を示す。
卯
両側に押し開けたさまをしめす。閉じたものや障害を押しのける意を含み、貿・冒などと同系の語。
植物が伸び出る時期。または植物の枝葉が茂って、上からかぶさるさまを呈する時期。
辰
貝の肉がペラペラと動くさまを示す象形文字。
植物が若芽をなびかせて動き、盛んに生長する段階。
巳
子ども・胎児の象形。
植物が種子をはらみ始める段階。
午
杵の原字で、上下させて餅をつきならす棒の象形。きつい馬をならして柔順に制御する意。五や互と同系で交叉する意を含む。
前半と後半が交叉するポストを表す。
未
木のこずえの未熟な枝を示す象形文字。
植物のなお成熟しきらぬ未熟な段階。
申
電光を表わす象形文字。電の原字。まっすぐに伸びきる意を含む。
作物の伸びきった時期。
日本では電光は「稲光」「稲妻」と呼ばれ稲の成熟をもたらしたと考えられた*1が、それと同様の意識が中国にもあったと解してもよい。
酉
酒を搾る壺の象形。
収穫した穀物で新種を作る時期と考えても良いし、広く「引き締めてひと所に収穫する」意と解しても良い。
亥
ブタの全身に行き渡った骨組みを表わす象形文字。全部に行き渡る意を含む。
全部終結するとの意を表わす。
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以上で引用を終わります。「午」が真ん中でなかったり、ちょっと順序やその意味に疑問点はありますが、いずれにしても十二支というものが植物の生長過程からつけられた数詞(序数)であるという主張は説得力があると思います。
ただ、これらが直接1月、2月…という意味に使われたことはないそうですから誤解のないように。十干と組み合わせて年を表わすのが基本のようです。
十干の話はまたあとで。あと白川先生だとまた解釈が微妙に異なってきます。これもまたそのうち。
飛びすぎる教室
- 作者: 清水義範,西原理恵子,(著)
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そしてそういう国を、ひとつずつ観光してみて、大いに思うことがあった。それは、私はこの宗教の国々のことを、学校ではまったく教わっていないぞ、ということだ。
たとえばの話、ウズベキスタンで、チムール帝国(1370〜1507)の都サマルカンドを見る。そこでチムールの孫のウルグ・ベグが著名な天文学者でもあったことを知り、その人の造った見事な天文台を見物して、なんという科学水準の高さだ、と驚いた。ヨーロッパが産業革命によって躍進する前は、イスラム世界の方が文明レベルが高いんじゃないのか、ということを初めて知るのだ。そういうことを世界史の授業で習った覚えはない。
世界史が必修だったという話から思い出した。清水義範は「国語入試問題必勝法」「永遠のジャック&ベティ」以来読んだことはなかったのだが、駐車場無料サービス受けるために、何かお気楽な本を買おうと探したときに見つけたものだ。
で、最初にこのような話から始まるのだが、「そうだそうだ」と共感至極である。
イスラム世界の話自体、私は殆ど読んだことがない。子どもの頃に「千夜一夜物語」の一部を読んだくらいだ。あまりのエロティシズムに驚き、思わず本棚の奥の方に隠した。ときどきこっそり取り出して読みふけったものだ。
イスラムだけでなくインドだって知らない。中国も三国志までだ。アフリカも中南米も。もっとも私はヨーロッパだって知らない。
さらに考えれば、日本史だって天皇系の一本道的な歴史しか知らない。だいたい私自身は征服者側の子孫なのか?それとも征服されて文化も歴史も根こそぎ奪われてしまった人々の子孫なのか?
そんなふうに、文明や文化に、達成度の採点をつけていく考え方はそろそろ見直すべきかもしれない。
優劣でなく、世界にはいろんな文明、文化があり、それぞれが自分たちの自己紹介、つまり歴史を持っているのだと考えてみるのはどうだろう。
そしておのおのの歴史を突き合わせてみたところに、世界史という、我々人類の実像が見えてくるのだ。
そういう世界史ならば、私は大いに勉強したいと思っている。
歴史を知らないというコンプレックスを抱いている私は、ときおり衝動的に歴史の本を購入し、挫折する。(ああ、そういえば捏造問題で書き直された本も交換してもらわなきゃと思いつつ忘れていたことを今思い出した)
それにしても、お気楽な表紙のわりに、ここまで問題意識に共感できる本に出会えたとはありがたい。これは儲け物だ。トイレ用でなく、ちゃんと読もうかなと思って、次のページを開いた。
食べ方は生きる知恵(料理の話)
?????
イスラム世界の歴史の話は、もう終わりなのか?あおるだけあおっておいて、さぁ、この本を読み進めれば学校では教えてくれなかった世界史に出会えると期待を膨らませておいてこの落ちか?
……これも感動した内に入るのだろうか。あとがきを読んだら、これは小説ではなくってエッセイらしい。エッセイってそーゆーもんだったっけ。
高校未履修問題についてそろそろ書いてみようかな
時事問題や職場の新しい話題はなるべく避ける方針で運営しています。無駄に危険な地雷を踏む気はさらさらないので。高校履修問題もそろそろ皆忘れた頃でしょうから、そろそろいいかな、と。
あのニュースが流れたときの第一印象は「さすが高校の先生。やるのぉ」だった。
基本的に幼稚園、小学校、中学校の順(降順)に職員集団はマジメである。もちろん一番マジメなのが幼稚園の先生。一番適当なのが中学校の教員。高等学校にあまり知り合いはいないので明言はできないのだが、自分が生徒だった頃の記憶からも高等学校の教員はもっとイイカゲンなのではないかと思っていた。
ここでいうマジメとはかつての師範学校令にある「順良」の意味である。つまりお上の指示に極めて従順。どんな命令でもサボタージュなんてとんでもない、自分のすべての能力を発揮して目標達成に邁進する心情のことです。「赤キ心」ですかね。
このマジメさに私が批判的なのは、それが自己判断の放棄につながりやすいからだ。教育行政の側の方が思い切った制度改革を成し遂げようと画策する場合には当然マジメな集団が望ましいだろう。この点は議論の余地あるところだが、学校という場所は急激な変革が難しくてそれでちょうどいいといった場所なのではないかと思う。(逆にこんなことも簡単に変えられないのかと悔しい思いをすることも多々あるんですが、それは我慢しなくてはいけないのかと思っています)
で、必修科目未履修のニュース。さすが高校の先生はたいしたもんだと思ったわけです。中学校ですと、どうしても納得できない教育計画でも、最後は教務主任が「こうしないと教育委員会が受け取ってくれないんです。明日が提出締め切りなんです」と泣きを入れて通ってしまうということがある。高校では学校ぐるみで自らの信念を貫き通したということではないかと拍手をしたい気持ちです。
本来、学習指導要領は(試案)という形でおそるおそる提出されたことを思い出しておこう。国家が教育に介入すること、教育を国家統制することの危険性が忘れ去られていなかった時代だったのだろう。その(試案)の文字が消え、さらに法的拘束力をもち、今や文部科学省著作の「解説書」にまで逆らえない現在。この流れに棹差す報道姿勢には毎度の事ながら腹が立つ。
数の認識は言語中枢とは異なる部位
数を認識する際の大脳の活動部位は、言語活動を担う言語中枢とは異なることを、京都大霊長類研究所(愛知県犬山市)の正高信男教授(認知科学)らの研究グループが突き止め、3日付の米学術誌ブレーン・アンド・ランゲージ電子版に発表した。
近年の研究では、イヌやネズミなどの哺乳(ほにゆう)類も数を勘定できるため、進化の歴史上、数の認識は言葉の発生よりも古いとみられている。
言語は概念を操作するものだから、集合を扱うような物となんとなく考えていた。ただか「記号科」なんてのも、ある程度根拠の無いものではないのかもと思っていたので、このニュースはちょっと興味深い。「数を認識」というのは基数なのか序数なのか両方なのか。詳しい解説本が出たら買おう(易しいやつ)。
信貴山縁起絵巻
今朝方テレビで特集番組をやっていたので観た。面白かった。
信貴山とか青蓮院とか修学旅行の際になじみのある場所がでてきた。信貴山縁起絵巻が国宝だったとは知らなかった。迂闊だった。信貴山は山の上に泊まれるので落ち着かない子どもたちを抱えたときによく使う宿泊場所。夜中に抜け出しても行くとこないから。信貴山で座禅させることもできたし。だからお寺自体は夜しか行った事がなかったので映像を見てちょっと吃驚。個人的には信貴山観光ホテルはとても気に入っている。社長(もう代替わりしたろうなぁ)も良い人だし、従業員教育が行き届いている。子どもの扱いがしっかりしている。地下の温泉も良い。
信貴山縁起絵巻
信貴山観光ホテル
奇跡のエンターテインメント 国宝“信貴山縁起絵巻”の大宇宙