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飛びすぎる教室

飛びすぎる教室 (講談社文庫)

飛びすぎる教室 (講談社文庫)

 そしてそういう国を、ひとつずつ観光してみて、大いに思うことがあった。それは、私はこの宗教の国々のことを、学校ではまったく教わっていないぞ、ということだ。
 たとえばの話、ウズベキスタンで、チムール帝国(1370〜1507)の都サマルカンドを見る。そこでチムールの孫のウルグ・ベグが著名な天文学者でもあったことを知り、その人の造った見事な天文台を見物して、なんという科学水準の高さだ、と驚いた。ヨーロッパが産業革命によって躍進する前は、イスラム世界の方が文明レベルが高いんじゃないのか、ということを初めて知るのだ。そういうことを世界史の授業で習った覚えはない。

世界史が必修だったという話から思い出した。清水義範は「国語入試問題必勝法」「永遠のジャック&ベティ」以来読んだことはなかったのだが、駐車場無料サービス受けるために、何かお気楽な本を買おうと探したときに見つけたものだ。
で、最初にこのような話から始まるのだが、「そうだそうだ」と共感至極である。
イスラム世界の話自体、私は殆ど読んだことがない。子どもの頃に「千夜一夜物語」の一部を読んだくらいだ。あまりのエロティシズムに驚き、思わず本棚の奥の方に隠した。ときどきこっそり取り出して読みふけったものだ。
イスラムだけでなくインドだって知らない。中国も三国志までだ。アフリカも中南米も。もっとも私はヨーロッパだって知らない。
さらに考えれば、日本史だって天皇系の一本道的な歴史しか知らない。だいたい私自身は征服者側の子孫なのか?それとも征服されて文化も歴史も根こそぎ奪われてしまった人々の子孫なのか?

 そんなふうに、文明や文化に、達成度の採点をつけていく考え方はそろそろ見直すべきかもしれない。
 優劣でなく、世界にはいろんな文明、文化があり、それぞれが自分たちの自己紹介、つまり歴史を持っているのだと考えてみるのはどうだろう。
 そしておのおのの歴史を突き合わせてみたところに、世界史という、我々人類の実像が見えてくるのだ。
 そういう世界史ならば、私は大いに勉強したいと思っている。

歴史を知らないというコンプレックスを抱いている私は、ときおり衝動的に歴史の本を購入し、挫折する。(ああ、そういえば捏造問題で書き直された本も交換してもらわなきゃと思いつつ忘れていたことを今思い出した)
それにしても、お気楽な表紙のわりに、ここまで問題意識に共感できる本に出会えたとはありがたい。これは儲け物だ。トイレ用でなく、ちゃんと読もうかなと思って、次のページを開いた。

食べ方は生きる知恵(料理の話)

?????
イスラム世界の歴史の話は、もう終わりなのか?あおるだけあおっておいて、さぁ、この本を読み進めれば学校では教えてくれなかった世界史に出会えると期待を膨らませておいてこの落ちか?
……これも感動した内に入るのだろうか。あとがきを読んだら、これは小説ではなくってエッセイらしい。エッセイってそーゆーもんだったっけ。