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高校未履修問題についてそろそろ書いてみようかな

教育

時事問題や職場の新しい話題はなるべく避ける方針で運営しています。無駄に危険な地雷を踏む気はさらさらないので。高校履修問題もそろそろ皆忘れた頃でしょうから、そろそろいいかな、と。

あのニュースが流れたときの第一印象は「さすが高校の先生。やるのぉ」だった。

基本的に幼稚園、小学校、中学校の順(降順)に職員集団はマジメである。もちろん一番マジメなのが幼稚園の先生。一番適当なのが中学校の教員。高等学校にあまり知り合いはいないので明言はできないのだが、自分が生徒だった頃の記憶からも高等学校の教員はもっとイイカゲンなのではないかと思っていた。

ここでいうマジメとはかつての師範学校令にある「順良」の意味である。つまりお上の指示に極めて従順。どんな命令でもサボタージュなんてとんでもない、自分のすべての能力を発揮して目標達成に邁進する心情のことです。「赤キ心」ですかね。
このマジメさに私が批判的なのは、それが自己判断の放棄につながりやすいからだ。教育行政の側の方が思い切った制度改革を成し遂げようと画策する場合には当然マジメな集団が望ましいだろう。この点は議論の余地あるところだが、学校という場所は急激な変革が難しくてそれでちょうどいいといった場所なのではないかと思う。(逆にこんなことも簡単に変えられないのかと悔しい思いをすることも多々あるんですが、それは我慢しなくてはいけないのかと思っています)

で、必修科目未履修のニュース。さすが高校の先生はたいしたもんだと思ったわけです。中学校ですと、どうしても納得できない教育計画でも、最後は教務主任が「こうしないと教育委員会が受け取ってくれないんです。明日が提出締め切りなんです」と泣きを入れて通ってしまうということがある。高校では学校ぐるみで自らの信念を貫き通したということではないかと拍手をしたい気持ちです。

本来、学習指導要領は(試案)という形でおそるおそる提出されたことを思い出しておこう。国家が教育に介入すること、教育を国家統制することの危険性が忘れ去られていなかった時代だったのだろう。その(試案)の文字が消え、さらに法的拘束力をもち、今や文部科学省著作の「解説書」にまで逆らえない現在。この流れに棹差す報道姿勢には毎度の事ながら腹が立つ。