夢を持ちましょう

夢に縛られる

「夢は大きく持ちなさい」

この言葉もスローガン・正論に近いものになっているように思いますが、果たして「夢を持つこと」って本当に「良いこと」なのでしょうか?
CMかどこかで見たことがあるかもしれませんが、人間と夢との関わり方はこんな表現の仕方もあるかと思います。

世の中には、2通りの人がいる
「夢」を「今・ここ」をより良く生きるための「道具」にしている人と
「夢」によって「今・ここ」を犠牲にしている人と

夢を持つことは難しい。誰だって人は自分を過小評価しがちだ。なにか作品を作っていて「自分の力ではこんなものだな」と諦めた時点で傑作はその手から逃げていく。小さな子ども達が将来の夢はと問われて,プロ野球選手とサッカー選手,芸能人ばっかりだったりすると,みんなキリギリスばっかりだったら困るだろう,アリもいなくっちゃ。いったい誰がゴミを毎日回収したり牛を殺してくれるんだ?…と思う。しかし,その夢を持ち続けることができた人が野球選手になったりするのも事実だろう。プロの将棋指し*1になるには,それこそ小学生の頃から将棋以外のすべてを犠牲にして打ち込む必要*2がある。だからこそ,平民の我々はプロ棋士を尊敬し*3,高額所得を得ても当然と思うのだ。*4
しかし,そんなに自分の時間や生活を賭けることの出来る夢を持つことは至難だ。だからこそ,「夢を持ちましょう」というスローガンが生まれる。もうちょっと生活にモチベーションを持てよ,ということだ。
しかし,確かにその夢によって苦しむ人もいるだろう。その原因は,その夢が与えられたものであることにあると思う。夢を持つことは難しい。人の夢を見て,「あ,それ私も( ゜д゜)ホスィ…」と自分の夢にしてしまう。でも,それは本当に自分のものでないので結局は自分を苦しめる。先の「2通りの人」は,それが本当に自分のものになった夢なのか,実は人から与えられたり人の夢を盗んだだけのものなのなのかをチェックするメルクマールになるかもしれません。
文化の継承という性質を持つ学校という制度では,このような「夢を与える」効果を持ってしまうのは必然であり避けられない。文化とは過去の人類がどのようなものに価値を見出してきたかということだからだ。自分の夢を持つということは新しい価値を生み出すことに近い。しかし,「将来のために今は我慢して勉強しなさい」といった手抜きの指導は無責任なものだということを忘れないようにしよう。

*1:ただしくは「棋士」といいます。

*2:もっともその中でトップになるのは,「それ以外を犠牲」なんて不要な,高度に才能に恵まれたごく一握りの個体だろうが。

*3:ここらへんウソはいっているかも

*4:実際にはそんなに高額所得の人は少ないが