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愛について

子どもの頃,石森章太郎のマンガが大好きだった。「幽霊船」「怪人同盟」「龍神沼」「サイボーグ009」「ミュータント・サブ」「リュウの道」「メゾンZ」「佐武と市捕物控」……藤子不二夫の言葉だが「石森章太郎から"かっこいいとはなにかを教わった"」と言ってもいいのではないか。それが,後年,石ノ森章太郎と改名したあたりから……。
さて,うろ覚えで申し訳ないのだが,その石ノ森章太郎が雑誌のインタビュー記事でこういうことを語っていた。

ある日私の描いたすべての作品は「愛」をテーマにしていたんだという事に気がついたんです。
作者が自分で気づかずにテーマを抱えていた…というのも笑えますが,これはつまりどんな作品でも,この作品のテーマは愛であるという言明は通じてしまうということなのでしょう。
「愛」という言葉がおそらくキリスト教から輸入されて数百年。その概念は拡張し続け,ありとあらゆるものを吸収し続けてきた。言葉に困ったとき「これも愛なんです」といえば,たいていの事は片付くものだ。これは「愛」という言葉ではもはや何も語ることが出来ないということではなかろうか。
私が議論の際に「愛」という言葉を嫌うのは以上のような理由なのです。それぞれが「愛」について抱いているイメージがあまりにも食い違いすぎますし。(あ,女の子に「愛してる?」と言われたときには,もちろん0.1秒で「愛してるよ」と答えますが)
 もう一つ,危険な言葉として私がマークしているのが「本能」です。どうも,この言葉も誤解して拡張して理解している方が多いように思います。この「本能」という言葉に代わるいい言葉を教えてもらいました。

● 人間は、大脳新皮質(理性)のみで生きるに非ず。
人間が生物である限り、
大脳辺縁系(本能)を無視するわけには
いかないんですよね、これが。
正しいことをしたければ・・・/男であること・女であること (風の香る道)
大脳辺縁系。いい感じです。今度から私も真似します。
中学生の女子には恋愛至上主義みたいなものが蔓延ることがあって「本能での恋愛はワニでもできるんだぞ。理性で本能の恋愛をコントロールし高めて始めて人間の恋愛なんだからな」といったことを話すことがあります。今度からもうちょっと分かりやすく語ることができるかもしれない。
是非,「愛」に代わるいい言葉も教えてください。
……と書いたら,すぐ返事をいただきました。
お気に入りのサイトさんたち(4) (風の香る道
● 「愛」を大きく分類すると
次の二種類に行き着くのかなぁ、と私は勝手に思ってます。
仏教で言うところの「渇愛
キリスト教で言うところの「アガペー
渇愛」という言葉、初めて知りました。ぐぐってみたら「タンハー」と読むらしいですね。五感に刺激を得たいという欲求と生きたいという欲求と破壊したいという欲求が3本の糸のように絡まったもの…という解説を読みました。さすが、仏教。斬新で奥深いよく練られた概念の作り方です。勉強になります。
それと、普通「アガペー」に対しては「エロス」というのが定石ですが、「エロス」にこびりついた垢のごとき余分な雑念を避けたのでしょうか。それとも、より広い意味をこめてか、「渇愛」という言葉を用意してくるkazafumiさんもさすがと感心しました。

教えていただいた「渇愛(タンハー)」という言葉、エラク気に入りました。もちろんちゃんと理解はしていないのですが(こんな書き方がすでに仏教を勉強している人から見れば傲慢だろうな)、一見矛盾した欲望という捕まえ方が私のツボにはまるのです。
例えば教育基本法に「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」ってくだりがあるのですが、私の一番好きなところです。「普遍的」と「個性」ってのは矛盾しないんだぞっ!もっと高いところに登って見おろしてみろよ。狭いところでごちゃごちゃやってんじゃねぇよ!……という心意気を感じるんです。
かわいい女の子を見ても、かわいいな、優しく親切にしてあげたいな…というキモチといじめちゃいたいなというキモチ…これ矛盾なく持てるような気がするんですね。よく保育園の先生などがおっしゃる「相手の気を引きたいからいじめるんだ。うまく気持を行動に表せないから、暴れちゃうんだ」なんてのは、姑息な解釈だと思っているわけです。
セックスするときだって、このあたたかい肉をいつくしみたいという気持と、めちゃくちゃにしてあげたいという気持、矛盾なく持ちます……よね。(俺だけ?)
そんなあれやこれやを詰め込んだ概念として、これからは「タンハー」を流行らせましょう。

で、ちらっとこれ以上考えると私の頭はハングアップしそうなんですが、アガペーもなんだか、同じように思えてくるんですね。
自己とか他者って何なんだってアタリを突き詰めなければいけないんですが。